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海渡とわたしたち

犬事ばかりで恐縮なのですが……
先日、8月24日の海渡です。★オレ若く見える?アン、歯のウラ黒いって?ばれたか残念
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海渡は2009年3月生まれなのであとひと月ほどで9歳6か月になります。

ひと月ほどで というの期間がこの年齢の犬にとっては実に微妙。
生後6週くらいでウチにやってきて、仔犬のベリィかわいい時期があっという間に過ぎて、2か月でガキンチョへ、そしてまたまたあっという間にその風体が成犬に変わっていったように、
9歳になったねおめでとう!と言ってから半年間でずいぶんゆっくりした感じになってきた。……老いてきたな、と。

病気もしないし、健康そのものなんですけどね、

遊んでいて、
もう疲れたころかな と見計らって、「フセ、フセ、ゴロ~ン」というとひざのうえにどっかりと身を預ける。
ボールを投げを数回繰り返すとボールを抱えこんで持ってこなくなる。もう投げないで と目で訴える。
散歩の途中で、急に座って目を見つめ「いいよ」と言うとぺたんと膝を折って座る。回復するまで動こうとしない。
というようなことが増えてきた。
IMG_2144_20180830201148a13.jpg 5年前、百間川でこの頃の散歩はいつもディスクといっしょ
何を言ってるのおかあさん。年とったのはオレだけじゃないよー

犬を飼うと決めたときから犬が死ぬってことを考えてる と誰かが言ってた。
死んだら悲しいなー と海渡をみて思う。冷たく硬くなった海渡が棺に納められ、花やオモチャや私たちとの写真が入れられている姿や、棚に飾られた写真まで想像して泣く。死んでもいないのに涙がこぼれる。死んでしまったら、きっとずーっと泣き続ける。

哲学者の池田晶子さんは、1960年生まれ。お酒と犬をこよなく愛する人で、亡くなってから犬について書いたものをまとめた『犬の力を知っていますか?』を読んだ。

「あとから来たのに先にゆく。これが、彼らと我々との今生の定めである」
池田晶子さんは、ずっと名犬ラッシーにあこがれていて、30歳くらいからコリー犬を飼い「ダンディー」と名付けた。15歳までダンディーは生きた。
「もし一頭十五年で計算すれば、次の犬が往生するとき、私は六十になる。三頭目は考えられない。六十を過ぎて大型犬の散歩は無理である。それなら飼うのは今しかないじゃないか」
と、自分の年齢と犬の寿命を考えて二代目のラッシー・ダンディーⅡを飼った。

でも、晶子さんのほうが先に亡くなってしまった。これはとてもとてもやるせないことだ。

哲学的に死をどう語られていたのかはしらないけれど、
哀しくて仕方ない。

池田晶子さん 1960年8月21日~2007年2月23日
ダンディーⅠ 1988年2月5日~2002年10月8日
ダンディーⅡ 2003年12月27日~2015年3月20日 の間を生きて死んだ。
 
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のりうまいか海渡

のりうまいか…ですね

いただきたいのですが…
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いただいてよろしいですか?
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とうさんの答えはNO!
だってイカだもの。犬はイカ食っちゃだめ。
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え~え~ こんな顔になっちゃう~

井倉洞

新見市にある井倉洞に前回行ったのは、20歳のころ。
夏休み、大佐の我が家に遊びに来た中部地方の友人を父が案内してくれた。(相当昔の話でそのころの父は考えてみれば今の私より若いではないか。)
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8月16日、お盆、大佐のばあちゃんちに帰省したうちの娘夫妻にも里帰り気分を味わわせたくて井倉洞にご案内。(画像は戯れる二人)
川の向こうの岩肌の奥に全長1200mの鍾乳洞がある。

中は体重が100㎏を超えたら抜けるのが難しいような狭いところもあり。高低差が90mということなので、かなりの坂もあり。
先人は、どうやってここを見つけることができたのか、洞内に50mもの滝がありどのように開発していったのか”謎”。。。
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井倉洞は7月の大水害で、大きな被害を受け、8月7日に再開したばかり。
河畔に建つ周辺の売店はすべて水没し、どの建物も1階部分は骨組だけの状態のままだ。
でも、トイレなどは清潔に掃除され、ちょっとしたお土産や飲み物が買えたり、腰をかけたりする場所を作ってあった。仮設券売所の方が「全部水に浸かって何もなくなってしまいました」と申し訳なさそうにおっしゃった。

入洞料は1000円。ちょっと高いわ とつぶやいてしまいましたが、決して高くはありませんでした。入って出たら終わりというようなちゃちなものではなかった!演出しすぎてないのがいい。
ただ、幼児とか足の痛い人や、お年寄りは急な坂や、距離もあるので難しいかな。

あと、中は暗いのでサングラスをかけたまま入るのはやめましょう。
IMG_1724.jpgふつうの眼鏡に替えましたって!

お盆

8月13日の夕方遅く、まあるい虹が出た。

虹の橋とかいうけれど、たいこ橋のよう。
夫に呼ばれて見上げた空。どんどん虹がせまって来た。ビールを飲んで小休止だ。

この日もやっぱり暑く、最高気温は34℃と発表。しかし実際は もっと高かったように感じた。
岡山から大佐の家に帰り、蒸し暑いなか掃除をする。雷鳴が止まない中、お墓を祀った。庭先には餓鬼仏も祀る。
仏壇には、灯篭や仏壇飾りをおき、迎え火を炊く。

お盆はとても忙しい。口にするのも嫌なくらい忙しい。
岡山に居ると、こんなときじゃあ夕飯は外で ということになるのだが、食べに行くところもないから3食作る。
朝は6:00に起きる。これが13日から4日間。夫と協力しながらで今年に限ったことではないけれど年々きつくなってきた。

虹の向こうは 晴れなのかしら?ね by MARI・Amachi

『チャリティーイベント うたがきこえる vol.1』

8月6日、表町Imageカフェで行われたライブを聴きに行きました。
詳しい内容は 主催した板東圭一郎さんのFaceBook をご覧くださいね。
西日本豪雨災害『チャリティーイベント うたがきこえる vol.1』
板東圭一郎さんからフェイスブックでこのイベントの呼びかけがあったのは7月の終わり。何かをやらなければ 何かができる、 という彼の思いが伝わるものでした。出演者はノーギャラ、お店の使用料は、ワンドリンク代のみで、集まったお金は8月9日日本赤十字社 岡山県支部に振り込んだという報告もされました。

そして、コンサートのタイトルに” vol.1”とつけているように、今回だけではなく、今後も続けていくそうです。
一回一回、刻みながらでも忘れない でいること という言葉が響きました。
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初めてのCAFE IMAGE。夫、本日の最高齢?
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兼高宏之さん。癖になる味の歌い手。
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まぁみん プロ歌手目指してる音大生。かわいいです。
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三宅亮仁さん。なんと美しい声。会場が彼の世界に変わりました。
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板東圭一郎さん。甘く太い声の持ち主です。かつて、高校球児でもありました。
やさしく熱い奴です。

ワンダー ウォール

7月の終わりに BSプレミアムで放送されたドラマ『ワンダーウォール』。
新聞の見もの欄で見て、見なくっちゃと思った。私も40年前の寮生だったからだ。

よく話題になる京大吉田寮を連想させる学生寮をモデルにしたドラマだ。
この寮は自治寮である。寮内のことは寮内で決める。そして、ここの民主主義は多数決ではなく、全会一致が原則だ。
敬称も使わない。ゴチャゴチャで、ほっんとに汚い寮なのだけど、なにか芯になっているようなものもある。

その寮は築100年を超え、老朽化している。歴史ある建造物なので補修しながら使っていこうという寮生。建て替えを主張する大学側(窓口は学生部だ この辺、昔と変わってない)。
寮生側の主張に理解を示す学生部長のもと、いったんは補修路線に流れたが、学生部長が倒れ、だんだんと団交の勢いもなくなっていく。リーダーとして先頭に立っていた寮生は交渉の場に姿をみせなくなる。
そして突然『壁』ができた。学生部のカウンター上にである。

カウンターでしつこく寮生に応対していた女性は ある日突然若くてきれいな女性に替わった。
久々に団交に出たリーダーは女性に目を遣り退席してしまう。サブリーダーも何も言えない。
闘う相手を見失ってしまった寮生たち。

リーダーや、それに続くサブリーダーが女子の胸に目を遣った といって荒れる仲間。
寮の部屋では交渉にも参加しない寮生や外部の学生が 退廃しきった感じで麻雀をしていたりする。どうしようもない中でも、どうにかしてほしいと願う者もいる。

はたして、この学寮はどうなってしまうのか……
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そんなところに その学生課の若い女性が訪ねてくる。

まず、彼女は寮生のリーダーの姉であることを名乗る。学生寮が老朽化したから立て直すというのも怪しく、本当は壊してそこに国の補助金目当てで学部を建築するらしい と伝える。
たぶん、駄目だろうけど 頑張ってほしい という。

彼らは気づく。彼女もまた派遣職員であり、いくらでも取り換えがきく。寮生たちが闘う相手は、壁の真ん前にいる 彼女ではなく、その後ろにいる学生課の人間でもない。もっと大きな相手だった。

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楽しく集い楽器なんか吹き鳴らしていて
その後 どうなったのかは はっきりとはせずに終わった。

学生寮は守れるのか― たぶん守れない。でもそこに今自分がいること、仲間と時間を共有すること、問題に立ち向かうこと、そんな場があることが素敵なんだよ。 という感じかな。

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長々とあらすじを書いてしましましたが、不思議にあと引くドラマ。

寮生たちがこたつにはまっていた部屋を見て 私は自分が住んでいた40年も前の寮を思っていた。
昭和20年代に建てられたもので、木造2階建て、二人部屋の居室、共同風呂、共同トイレと洗面所、食堂、集会室、ピアノ室の他に2階に和室があった。
その和室はドラマで寮生たちが麻雀をしたり、うだうだ話をしていたこたつ部屋に似ており、集会室でも娯楽室でもない、なんか名前がついてた。
ドラマの終わりのほうで、酔っぱらって暴れる寮生がぶつかり、本が崩れたら 掛け軸があらわれ茶がたてられるようになっていた。「お茶室だったんだ」と皆でかしこまって茶を飲む というシーンがあった。

そう、思い出したのです。私が住んでいた寮の和室の名前は「お茶室」。
雑誌が散乱し、掛け軸もなく、ドラマのようなお茶室の面影もなかったけど。

学寮は私が3年生のときに移転して新寮ができたので、取り壊され7年くらい前に訪ねていったときには地域の公園になってい
た。そのまま残っていたら築70年くらい。
この古い寮を立て直してほしい という数年がかりの交渉から、新寮建設が決まり、設備などどんな形にするかと寮生たちは学生部や学生課の人たちと交渉を重ねた。トイレは こんなのが流行っているのよ という教授や、いつも仏頂面だった教授、管理部門の国の役人さん、当時は窓口の職員さんは正規の人だったし、考えれば、生意気な学生とまともに真っ向から交渉の場についてくれていたと思う。

40年ほど前の寮生は 寮生としての後輩にもっと頑張れ! 寮を守れ と言いたいところだけど
私たちの時代、壁は今ほどなかったのかなぁ。
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