『シダの群れ』≪港の女歌手編≫

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「おめでとう。もうすぐ20年 頑張ってますね。」と代表にいただいた20本のバラと20の年輪を重ねたバームクーヘン。
ありがとうございます。「おめでとう」のひと言がとてもうれしい。
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先週末は大阪シアターブラバにて観劇。初めて見る 岩松 了 作・演出。
上演されるものはたくさんあるから、どれを見るか選ぶのは、演出家だったり出演者だったり。

”『シダの群れ』待望の第三弾≪港の女歌手編≫を飾る豪華キャストには、第一弾の謎の失踪から戻って来た阿部サダヲを始め、小泉今日子、豊原功補、吹越 満、小林 薫といった華も実もある俳優陣がヤクザの筋と世間の常識、人情、愛憎に揺れる男女の心模様を繊細に紡ぎ出します。”
なんてコピーだ。

好きな役者の阿部サダヲ、きれいだと思うしどんな舞台なんだろ見てみたいと思う小泉今日子、市川実和子、
そして吹越 満、小林 薫 とくれば”これ観たい”と思うじゃないですか。

土日は取りにくいので、わざわざ金曜日にしてまで手にしたチケットを持って娘と共にブラバに。

結果・・・なんだか判らない。いままで何本かの演劇をみたけれど、一番つまらなかった。

あらすじは敢えて書きませんが、ていうか書けない・・・何かが変わるのを信じて見続けたけど延々何が舞台で行われているのか??
人間関係はどうなのか??わずか数名の出演者なのに最後まで役名が覚えられない。
阿部サダヲはなぜそこにいるの?ジーナという名の歌手小泉今日子は別に居てもいなくても・・・・・・
港町のクラブでというセットはずっと変わらず、そこで抗争が繰り広げられているらしい。ジーナはとくに抗争とは関係ないらしいけど
だらだらした中で、突然拳銃をぶっぱなし、その音で目が覚める、で、なんで今拳銃ぶっ放したのかなぁ??

やっとやっと終わった3時間。パンフレットも買いましたが、あまり意味なかったなぁ。
隣の席の友だちらしい女性二人組は「阿部ちゃんかわいかったね」なんて話してたけど、舞台そのものはどうだったのだろうか?
私は娘と二人だったから、終わったあと「何だかね」とぶーぶー言えたのがせめてもの救い。

えーい悔しいから小さな画像にしてやる
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ERD(イールド)「紡ぐ」展 岡 文女さん

ここは、北区横井上 ELD(イールド)。
奉還町入り口、大通り沿いにあったイールドが移転しました。
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開催中の「紡ぐ」展。帽子作家とホームスパン作家の展示会です。
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ホームスパンの 岡 文女さんは、夫の実姉の夫のお姉さん。まぁ、簡単にいえば義理の姉です。
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あやめさんは、すべての工程を一人でこなします。

あやめさんの工房の周りの野山にある蓬、団栗、矢車、栗の花・イガ・小枝等をつかって
仕入れた羊の毛を染め(羊の毛も某日本のメーカーUが世界中の毛を買い占めているため手に入りにくくなったそうです。どんな羊毛でもいいわけではなくて、手仕事に向いているものを探すそうです)

ほぐして紡ぐ。羊毛から糸になるわけです。

朝日高校同窓会で発言したあやめさんのことばでこんなふうに書かれている。

「織物というと、機に座って横糸を打ち込む織る作業のことだと思われるが、染めたり紡いだり、糸を機にかけるまでの細々とした仕事が大変で、時間と手間がかかる。
紡ぎは気長に根気強く毎日毎日繰り返し、少しずつ糸を貯めていく。」

そして織り、一枚の布になる。
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仕上げの工程を経て、ストールやマフラーが出来上がる。
染めの素材で微妙な色の変化があり、1枚として同じものはありません。求めようとすると、とてもとても迷います。

ERDのホームページhttp://www.yield.jp/もぜひチェックしてみてください。

カフェも併設された、家具と雑貨のショップです。とってもおしゃれなお店です。

★岡文女さんとト・プローヴァトの作品展「紡ぐ」は、今月25日まで。

吉備中央町napに行く

天気の良い日曜日

吉田牧場の脇の道を抜け
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吉備中央町加茂山分校跡地に建つナップに行きました。

ナップは以前、岡山市内のど真ん中平和町(になると思うのですが)のビルの2階にあり、ドッググッズを扱っていました。海渡を飼う前から時々行っては、「犬飼ったらこんなのほしいね」なんて話しており、お店には、ワイマラナーとセッターがいました。
「ビルの中でも大きな犬が飼えるんだ」とそこで教えてもらったようなものです。
昨年、吉備中央町に移転したと聞き、行ってみたいとずっと思っていました。

吉田牧場の方から行くとくねくね道を下ります。
その間、民家は1件もありません。あきらめずに行きます。
すると、やっとたどり着くのです。

小学校の校舎が工房に、運動場であったと思われるところが作業場と犬たちの遊び場に、そしてその下にカフェ
&thingsハチガハナ(アンドシングスハチガハナ)。その下にオーナーのご自宅。
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この扉を開けると、薪ストーブの温もりとコーヒーの香りが。中は思ったより広くて工房で作ったものと雑貨も並べられています。
お昼少し過ぎていましたが満席。若いカップルが多かったようです。デッキの席もあります。私たちは、道を挟んだ”はなれ”に案内してもらいました。
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ガーデングッズを販売。この横に席があります。

しばらくすると、”母屋”からフードが運ばれてきました。
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キッシュと、ご近所吉田牧場のチーズを使ったチーズケーキ。
コーヒーはストレートのみですがすべて手で淹れます。カフェオレも濃厚。

刻々と日の向きが変わっていくのがわかります。シーンとした深い山の中・・・・・
「こんな場所いいなぁ」と夫が言います。
こんな環境にはものすごく慣れているのに、
あまりの気持ちよさに思わず「いいね」なんて言ってしまい、、「いや、山の中はもういいよ」 と打ち消す私。

海渡は車の中に置いていましたが、はなれはワンちゃんもOKだそうです。

カフェ&雑貨の「アンドシングスハチガハナ」は、土・日・月・祝日の営業です。12月はクリスマスも営業でディナータイムもあるみたいです。
ちょっと遠いけど、行ってよかったお店です。

薬師寺慎一さん

「私は吉備津の薬師寺と申します」
「奥さんですかな」
「若い声ですなアッハッハ」(私より若いスタッフがいたときには私が電話をとると「声が落ち着いておられますから、奥さんですな」とおっしゃってました)
続いて「ご主人おられますかな」
すると、少し覚悟したような面持ちで吉備人代表の山川が電話をとる という具合でした。

薬師寺慎一さんは 一昨日亡くなられました。
ここにはない『吉備の中山と古代吉備』を含め8点の本を吉備人出版から出していただきました。

『楯築遺跡と卑弥呼の鬼道』(1995年11月7日)
『吉備の中山と古代吉備』(2001年5月13日)
『祭祀から見た古代吉備』(2003年11月21日)
『聖なる山とイワクラ・泉』(2006年1月20日)
『考えながら歩く吉備路(上)』(2008年12月21日)
『考えながら歩く吉備路(下)』(2009年7月23日)
『岡山の式内社』(2010年11月23日)
『吉備の古代史事典』(2012年9月30日)
どの本も難しそうなことが分かりやすく書かれており「教えてほしい」「連絡をとりたい」という問い合わせをいただく著者№1です。

どの本も校正を重ねました。
それは薬師寺さんの「本を世の中に出すこと、残すことの責任の重さ」であり本に対する畏敬の念であったと思っています。

「原稿ができました」
「校正しました」と電話をいただくと、担当させていただいていた山川がやや緊張して薬師寺さんのお宅に伺いました。いい加減な対応をすると容赦なく叱られました。
本が出来るとお祝いだと言って「白蒸し」(黒豆のご飯)を用意して待ってくださいました。

吉備人出版ももうすぐ20年を迎えます。吉備人にとって初めての市販本だった「楯築遺跡と卑弥呼の鬼道」の頃にはずいぶん若かった代表の山川も58歳です。
変な話ですが、彼が疲れて「もういや、俺死にたい」なんてことをもし口走ったとしたら、三途の川に薬師寺さんがゆったりと現れ
まず、あの世の仕組みを説き「まだまだこちらの世にくるには修行が足りませんなぁ」と追い返してくれるだろうと私は思っています。

備中白小豆

雑誌『BRUTUS』で「あんこ好き」を読んだら、妙に「あんこもの」が食べたくなった。

先週の金曜日「日曜日、帰るからね」と母に電話したら
「何つくろうかなぁ、ぼた餅でもしょうかなぁ」とまさに「棚からぼた餅」のおことば。

お昼前に着くとせっせとつくってくれていました。新小豆の餡だそうです。
我が家では、ぼた餅はおやつではなくてごはんです。甘いものが好きでなかった父には、特別にお砂糖をいれないうっすら塩味の餡のものをつくり、父はそれを七味しょうゆで食べていました。

『BRUTUS』の中に「備中白小豆の謎を追いかけて岡山県の備中地区へ。」というのがありました。

江戸時代創業の大阪・北浜の和菓子屋さんがある常連さんに頼まれて作ったもので知る人しか知らない「白い羊羹」。その材料が備中白小豆であり、
店主さんは「備中白小豆は香りが違う。昔の小豆の香りがする」という。
えぐみがなく後味が上品な白あんに仕上がるので、京都や大阪の上生菓子店ではたいへん好まれるのだが、なにせ生産量があまりに少なく高価・・・なぜそんなに希少な存在になってしまったのか という謎を追いかけて岡山へ という内容。

井原市の豆問屋さんが「・・・・・・昭和40年頃は高梁などの山間地帯で相当な量の白大豆が栽培されていました。・・・・・・」と答えていて、
我が家でも「備中白大豆」を作っていたことを思いました。

秋に、小豆が熟れると畑から抜いて、ハゼ(はぜかけ米のハゼ)にかけて乾燥させ、さらに鞘から豆を落とします。そのための機械があったような・・・?よく覚えていませんが、簡単そうですが売るほどの量になるとそれ相当の量だったはずです。
それを業者が、キロいくらかで買いに来ていました。備中白小豆は3ミリ~5ミリほどの小さな豆なので生産性がとても低かったそうです。「なんぼうも獲れん」というのでそのうち作らなくなっていました。

我が家で作っていたという記憶がはっきりあるのも昭和40年頃のこと。
「白大豆を売って晴れ着を買ってあげる」と母が言ったのと、それを着せてもらったお祭りの写真が残っています。着物も残っています。

ぼた餅を食べながら母に「白小豆作ってたけど、白餡なんか作ったことある?」と尋ねると、
「いいや、白小豆は売るためにしか作らんかった」
いい金にはなるけど、家の者の口には入らなかったようです。
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