R50

マリリン
★注文を電話で受けるとき 住所と名前の確認をする。
名前の場合、例えば 吉備人出版 山川隆之なら 大吉の吉・備品の備・人でキビト、ヤマは岡山の山、カワは三本川、西郷隆盛の隆、ユキはひらがなの”え”に似た之 という具合に確かめ合っていく。

先日、「ミナミハジメ」さんという方から注文の電話をいただいた。

「ハジメは拝啓の啓の下が口じゃなくて」筆の下の・・・
私;「あ、ハナ肇さんの肇ですね」
「あーーそうです。そうです」(とても嬉しそうに!)
私;「ミナミは?」
「三波春夫さんの三波です!」
私;「はい、漢数字の三に波ですね」

ハナ肇を知っている人だから、三波春夫もすんなり通じると思われたんですね。
当たり!

R50って感じかな。。。
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555番地 この場所から

三重町 ★34年前、私の大学生活はここから始まった。
当時、築28年の女子学寮。
1977年に築28年ということは、1949年、師範学校から新制大学に変わり学芸学部になったときに建てられたものらしい。木造2階建て、床は木、部屋は畳敷きの相部屋、お風呂は共同、トイレも共同。暖房は午後10時に切らなければならない石油ストーブだった。
アルミサッシでない木枠の窓から海岸の砂が部屋の中に入ってきたし大雨に畳は濡れた。

ほぼ毎日ソノベさんというおばちゃんが来て掃除してくれた。洗面所(もちろん共同)やトイレや床はきれいに磨かれていた。朝夕の食事も栄養士さんの作った献立に従って二人のおばちゃんで作ってくれる。(安い寮費だったのでタンパク源の魚は「鯖」肉は「鶏」でした)
中庭には紫陽花が咲いていた。

最終学年のとき、大学のすぐ近くに新寮ができたので、入寮者全員が移った。
新制大学になったときには市内にばらばらにあった医、農、工、水産、教育学部は、何年のことか知らないけれどこの場所から7キロくらいの北の海岸に、5学部すべて集められていた。
女子寮だけが、離れた場所にとりのこされた形になっていたということだ。

そして、その移転引越をした日以来、一度も訪れたことのないこの場所に3月初めに行った。
探せど探せど分からず。男性2名と私・・・私はバス停からの道順さえ覚えていないありさまだった。

庭掃除をしていたご近所の女性にたずねた。
「この辺に30年前くらいに女子寮があったと思うのですが」

「ありました。ありました。あそこを曲がって・・・・・・」長いこと建物は残っていたそうだ。
女性はお孫さんを連れてよく遊びに行くのだと言った。
「桜がきれいなんですよ」

あのころ桜の木はなかった。30年も経ったのだな。
街の和みの場所になっていた。

坂道の攻防

2011sakura 朝10時すぎには 「後楽園駐車場は満車です」とアナウンス。辺りの道路もかなり渋滞。夜桜は見えないから、昼しかないしね。
独特のもったりした空気に、はらはらと花びらが舞い、昨日・一昨日はお花見日和。毎年恒例のにわか雨もことしはありませんでした。
左上に見えるのは県庁に上がる赤いアドバルーン。市議選、県議選の啓発のためのもののようです。昨日は投票日。岡山市中区で県議選投票率47.18%、市議選47.17%。お花見の人たち 投票には行きましたか?

久し振りに自転車で新鶴見橋と清心町の交差点に抜ける跨線橋を往復。
このへんに住まう方たちは知っていると思いますが、結構この2本の橋は坂道がきつい。

歩道はちゃんとあるので走りやすいけれど、向こうから来た人と出会ったとき、スムーズにすれちがえないと「アンタどきなさいよ」とヨロヨロしながら結局両方が停車しなければならない状態に陥る。お互いにせっかく登ってきたのだから停まりたくない、ゆずりたくない。
一生懸命登った先には快適なくだり坂が待ってるのだものね。
が、せっかくの快適なくだり坂もヘロヘロしたやつが道の真ん中を走っていたりしたら、とても腹立たしい。

誰ともすれちがいませんように、と無理なことを念じていたら、やはり無理なことで、こんなにお花見日和なもんだから土手の桜を眺めながらの横並びの歩行者や、楽しげに並列で自転車を走らせる親子やらに遭遇。
いつもは自転車なんて殆ど通らない跨線橋上だって何度もスピードを落とすことに。 譲りたくはなかったのに・・・。

「五目汁そば」で生き返る

ももパン ★桃パン。まだ食べてはいないけれど、このまだら感がまさに桃。

朝、おじいさんの入所している施設に夫と行きスタッフの人と面談。詳しく書くのは今日はやめにするけれど、穏やかに生活してくれたらよいものを、頭が痛いことが起きる。本人に気持ちや道理が通じない。

11時頃出社。一昨日の読売新聞で見た と言う方から「高尾山詳細図」はどこで売っていますか という電話が多数入る。「どちらにお住まいですか」と訪ねて書店を案内しようとするが、肝心の地理が分からないのが我ながらもどかしい。直接発送の個人注文も10数件。
取り次ぎ店発送、個人発送、その間に電話問い合わせ。この調子が6時半まで続いた。嬉しいけど腰が痛い。

海渡のトレーニングも重なった。ちょっとした悩みをタケイ先生に伝えていると
「ちくったなぁ」という目でみてくる。

7時過ぎから 突き出し広告の原稿を作る。
妙におなかが空いてきた。そういえばお昼ご飯は パン1つだった。
代表山川を誘って「海華楼」の出前を頼む。「天津丼」と「五目汁そば」。夜の出前は初めて。なんておいしいのだろう!
力が湧いて、10時まで頑張る。

「海華楼」の出前は21:30まで。アツアツを届けてくれます。汁物はポットで運ばれてその場でかけてくれます。ぜひご利用ください。

桜の花

ボート ★お昼に海渡と散歩。旭川のお堀には手漕ぎボートやタンチョウが。よく見ると対岸の赤いスカートの人もボートの人もカップル。ぽかぽかと気持ちい日だものね。
旭川 ★衛生会館まえの河川敷にも人がちらほら。でも例年に比べてずっと少ない。いつもの年ならお花見弁当を何食も作っていた和食屋さんだって、こんなんじゃ商売あがったり。和食屋さんから食材の発注がなくなると、魚屋さんやさんだって八百屋さんだってあがったり。

一作夜 散歩がてら京橋辺りから犬を連れて帰る。
例年なら 夜桜見物のお客さんでいっぱいなはず。屋台の賑わい、焼き肉の臭い、真っ黒な夜空を背景にしてぼんぼりに浮かぶ薄ピンクの桜は本当に美しい。
ところが、ぼんぼりにあかりの入らない今年は、焼き肉の残骸におびえるのみ。犬の海渡が拾い喰いをするからだ。暗くて見えない。うんちの場所を探しているのかと思っていたら何かを口にしていたりする。

今日も犬連れで帰った。石山公園に3組の職場仲間らしき人たちの宴。鶴見橋を通って蓬莱橋の東詰から河川敷に降りると50mくらいの間に3組の若者グループが後楽園側の対岸から車のライトを点けて宴会をしている。
なぜか ありがとう と思う。

寂しいなぁ。。家の前は桜並木。なのにさみしく桜を見つめる。そして夜の桜はまったく見えない。
ほら 人だって綺麗ね といわれるとより綺麗になる。桜も同じ。今年の桜はちいさく沈んで見える。

4月になりました。

石山公園 ★4月1日 選挙告示日。選挙カーから聞こえる声に耳を傾ける犬。

4月になったのでカレンダーに予定を書き込んだ。
新刊も こんな感じでー続々出ます。
▼ 生命の文集「生きる力」 2011年05月05日刊行予定
▼ ボクらの日本一周どんぶらこ -きびだんごを配って四千里- 2011年04月中旬
▼ 石刻の農耕神-その発生と展開- 2011年04月中旬発刊
▼ 遙かなレクイエム-赤い勲章・鈴の音- 2011年04月04日発刊予定
▼ またもや出たぞ おかやま雑学ノート 第8集 新刊出来!
▼ 岡山後楽園の春夏秋冬 新刊出来!
▼ 『文芸くらしき』第14号 倉敷市民文学賞作品集 新刊出来!
詳しい内容は 吉備人出版HP
で見てくださいね。

 嬉しい<お知らせ>
NHKラジオ深夜便 4月6日 25:00~
「新ルート岡山の山百選」新刊「高尾山登山詳細図」の著者(踏査、地図製作)守屋益男さん出演


守屋さんは1935年、岡山市生まれ。日本勤労者山岳連盟名誉会長。
23歳から登山を始め、国内では県内から中四国の主な山、日本百名山すべてに登頂。
海外ではモンブラン(4,807m)、キリマンジャロ(5,895m)等にすべて登山隊長として登頂。アコンカグア(6,959m)は6,000mまで。
未踏峰では1994年、天山・カシカール峰(6,347m)へ登山隊総隊長として参加、6名が登頂。2006年には、チベット・ゴザル峰(6,292m)へ登山隊長として参加、5,800mまで登られたという方です。

私には前述の山がどのようなものであるのか想像もつきません。
しかし、どんな話題についても守屋さんは、いつも穏やかでいて鋭く、そして分かりやすく話されます。
ぜひ、聞いてください。全国放送です。
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